2025年9月21日日曜日

16. 毒親のせいで出来なかった事は取り返せない

 毒親はのせいで出来なかった事を成人してから取り返す事は出来ない。

普通の人間はこれまでの経験を基に個人個人の最適化された行動をしている。

しかし、毒親のせいで思考や行動が制限されてきた人間は経験自体が少なく、しかも偏ってしまい必要な経験を網羅出来ていない。

これを土台にこれから経験を積んだとして、結局偏って経験しか蓄積できず、やらないより却って悪化する事もある。

恋愛の場合、特に男は下記が顕著で絶望的となる。

中高生での恋愛経験が無いと恋人との行動するときのパターンを蓄積してないと、その時点で一般人に比べ行動パターンが欠落していて異常に見え(実際異常だが)成人しても拒絶され恋愛が出来ない事が多い。

毒親に虐待されながら育つと自信や自分の考えや自分の得意だという物を壊され潰される。自信や自分の考えを持たず、自分の良い所を相手に示せない人間は恋愛対象にならない上に、自分から好意を持った人間にアプローチしようとすら考えられない為、恋愛にとっても大事な時期である中高生時代を無駄にする。

そして、自信や自分で考える力を遅れて身につけても、成人してしまっていたら無意味である。成人してから中高生との恋愛は社会的に害とみなされるからだ。

自分が毒親育ちと認識できた時点で、自分に見切りをつけて風俗で発散しないと、性犯罪に走り易くなるし、人間関係の構築ももっと難しくなる。


また、運動能力についても運動の機会を奪われると絶望的だ。

運動能力の発達に必要な刺激は幼児期に受けなければならないのに、毒親にその機会を奪われると運動神経(運動のセンス)は一生身につけられない。体の成長が終わってから訓練しても良くて筋肉がつくだけで動きがギクシャクした出来損ないになるだけだ。

2025年3月3日月曜日

15. 発達障害者、毒親持ちが身を守る方法

 物理的に身を守るなら、格闘技のジムで鍛えればよい。

健常者と同じように動けなくても相手の攻撃を受け切り、殴り返す体の強ささえ手に入れれば良い。ルールの定まっている競技だと、器用に動けない者は負けるが、実際の喧嘩なら相手を動けなくさえすれば良い。

発達障害で特に運動協調失調が顕著な場合はまず競技では勝てないので、体の強度だけ上げる事を考える。そのうえで少し心得の無い人間より動ければ上出来。


一番の問題は職場等の他人との利害や信頼関係が重視される場所。

発達障害者や毒親の後遺症を持っている人間はどう頑張っても健常者と同じ水準で仕事をこなせないので邪魔になる。

職場が求める水準に達しない者には注意や非難が向く。そして「どうせ手を抜こうとしている、誤魔化そうとしている、悪意を持って行動している」等と決めつけられる。

結果からすれば、発達障害者や毒親の後遺症の人間の行動の結果は、手を抜いたり、噓をついて誤魔化そうとしたり、悪意を持って対象に嫌がらせをしたりする事と何も変わらない。

これはどんなに努力、試行錯誤しても変わらない。発達障害者や毒親の後遺症の人間はこう扱われるしかない。


どうせ打たれるのが決まっているから、打たれる心構えをするしか選択肢が無い。


①一切自分の能力と結果に期待しない

②他人からの評価や好意に一切期待しない。 

③他人からの期待は信じない

④緩やかに絶望して行く


①、②、③は今までの境遇から既に習得している事が多いが、④は狙ってできるかどうかがわからない。

③は良く騙されそうになるが、今までの自分の境遇を冷静に考えれば、他人からの期待程無責任で有害なものはない事が分る筈だ。

自分をよく知りもしない人間は期待の言葉を無責任に向けて来るが、そんな期待通りの事になんて健常者じゃない人間がなる訳がない。


④を実行するのはかなり難しい。が、成功すれば生き地獄の中で息をして食べて糞をするぐらいの事はできるようになる。

急激に絶望するから大きな心理的負担を負う。そして体調不良等になって表在化する。

少しずつ絶望して行くことで一発の落差を小さくするのが狙い。

毎日、「これが出来なかった」とその日できなかった事だけを数えていく内に少しずつ絶望して行けるのではないだろうか。生きてきて今までできなかった事を数えると急激に絶望す るので、その日できなかった事だけを数える。

少しずつ毒を取り込み毒に馴れていくと言った所だ。


筆者は毒親に幼少から否定され、やりたいことも欲しいものも奪われた/与えられなかった為、無自覚に絶望に馴れていた(決して良いことではないし、これのせいで親への殺意がある)。


「健常者と同じようには生きられない」と、希望を捨て段階的に諦め切るしか生き抜く方法は無い。

2022年10月30日日曜日

14. 著しく「一般」から外れた人間の意志や考えは、無意味

発達障害にしろ、過干渉の被害者にしろ、職場では一般から外れた上に著しく能力が劣っている人間の考えは無意味。 考えを述べるだけで新たな食い違いが起こる。例え相手の想定と真逆を考えていても、結果が同じなら一般的な思考プロセスが適用されてしまう。 

一般に対して思考の過程が全く違う上に、着眼点も全く違うからだ。 一般、健常な人間には信じられない方法で考えているから当然、受け入れたり信じたりすることはできない。

13. 健常に育てられなかった人間の欠陥は「努力不足」

 過干渉の被害者や発達障害のように、健常者に見えて部分的に壊れている場合は、やっても出来ない事を「努力不足」で片付けられてしまう。

やってできる場合もあるが、健常者の何十倍も時間をかけてやるくらいしかない。でもこれは非効率として切り捨てられる。

そして、どうにか改善しようと何かをしようにも、終わらないタスクに追われて結局何も改善できずに終わる。 これが健常者からすると努力不足。